2009年 01月 24日
銀座 |
地下鉄銀座駅の階段を上がり、まだ透明感を残す朝の大気をかぎながら、銀座通りの歩道を歩く。
銀座には新宿のような猥雑さはなく、歩いていて何とはなしに開放感が感じられるのは、東京でも珍しいこの広い歩道によるところも大きいだろう、と思う。
私は朝の銀座通りを歩くのが好きだった。
有名なライオン・ビアホールの角を曲がるとすぐ右手に、レンガ色をした落ち着いた雰囲気の建物が見えてくる。ライオン・ビアホールの親会社でもある、サッポロビールの本社ビルである。
私が勤めていたサッポロビール東京支社のオフィスは、本社ビルから1本細い通りをへだてた、銀座7丁目に建つビルの中に入っていた。
入社して半年が過ぎた1990年9月はじめ、私は東京支社南支店に配属された。
南支店は渋谷、品川、大田、目黒の4区を管轄していた。
私は品川区の担当になった。他に2人の先輩社員が品川区を担当している。
約140軒の酒販店、そして受け持ち地域内にある無数の飲食店。それが私の担当であり、得意先になるのだった。
大学を卒業し、はじめて社会という大海に泳ぎだしたばかりの私は、自分がサラリーマンとしてやっていけるのか、まだ正直不安な気持ちを抱えていた。
9月末、会社からも近い新橋駅近くの居酒屋に、大西宏、佐野哲也、私の3名が集まった。
私は大西の南極行きの計画に一員として迎えてもらえることになった。
その顔合わせ以降、私たちはほぼ1週間ごとに4回のミーティングを行った。
銀座には新宿のような猥雑さはなく、歩いていて何とはなしに開放感が感じられるのは、東京でも珍しいこの広い歩道によるところも大きいだろう、と思う。
私は朝の銀座通りを歩くのが好きだった。
有名なライオン・ビアホールの角を曲がるとすぐ右手に、レンガ色をした落ち着いた雰囲気の建物が見えてくる。ライオン・ビアホールの親会社でもある、サッポロビールの本社ビルである。
私が勤めていたサッポロビール東京支社のオフィスは、本社ビルから1本細い通りをへだてた、銀座7丁目に建つビルの中に入っていた。
入社して半年が過ぎた1990年9月はじめ、私は東京支社南支店に配属された。
南支店は渋谷、品川、大田、目黒の4区を管轄していた。
私は品川区の担当になった。他に2人の先輩社員が品川区を担当している。
約140軒の酒販店、そして受け持ち地域内にある無数の飲食店。それが私の担当であり、得意先になるのだった。
大学を卒業し、はじめて社会という大海に泳ぎだしたばかりの私は、自分がサラリーマンとしてやっていけるのか、まだ正直不安な気持ちを抱えていた。
9月末、会社からも近い新橋駅近くの居酒屋に、大西宏、佐野哲也、私の3名が集まった。
私は大西の南極行きの計画に一員として迎えてもらえることになった。
その顔合わせ以降、私たちはほぼ1週間ごとに4回のミーティングを行った。
by antarctic-walk
| 2009-01-24 00:09
| 東京