2009年 01月 16日
はじまり |
1990年9月5日。日本山岳会青年部の会合が終わり、いつものように市ヶ谷駅近くの居酒屋に飲みに行った。
たまたま向かいに座った大西宏から、彼が計画している南極行きの話を聞き、私は自分も参加したい気持ちがあることを打ち明けた。
大西は明治大学山岳部出身で私より2年先輩である。法政大学出身の私と大学は異なるが以前から面識はあり、彼が南極探検の計画をあたためていることを、しばらく前から聞き知っていた。
数日後、大西から「南極遠征隊(仮称)計画概要」と題された仮計画書と、レポート用紙にしたためられた手紙が送られてきた。
大西の仮計画書によれば、実施期間は1992年10月初旬~1993年1月下旬。
「目的」のところには、「南極点まで完歩し、最高峰のビンソンマシフにも登頂する」とある。
メンバーは、「隊長 大西宏(28)、 隊員 佐野哲也(24)」と、2名だけになっている。佐野は明治大学山岳部の大西の後輩である。
スケジュールを見ると、1991年5~6月で、グリーンランドでの合宿も予定されていた。
そして、総予算は5,320万円。
一方、手書きで書かれたレポート用紙の方にも、筆まめな大西らしく、計画概要の補足と今後のスケジュールがびっしりと書き込まれていた。
手紙の末尾には、「興味があったら協力してくれ。今度早急に機会をつくって、さらに詳しい説明をするつもりだ」とあった。
最後にはさらに、「蛇足ながら定職もあることだし、よくよく将来の見通しについて考えてからやってくれ」と書かれていたが、私は手紙を読み終えると即座に、南極に行きたい意思をはっきりと記した手紙を、大西に宛てて書きはじめた。
たまたま向かいに座った大西宏から、彼が計画している南極行きの話を聞き、私は自分も参加したい気持ちがあることを打ち明けた。
大西は明治大学山岳部出身で私より2年先輩である。法政大学出身の私と大学は異なるが以前から面識はあり、彼が南極探検の計画をあたためていることを、しばらく前から聞き知っていた。
数日後、大西から「南極遠征隊(仮称)計画概要」と題された仮計画書と、レポート用紙にしたためられた手紙が送られてきた。
大西の仮計画書によれば、実施期間は1992年10月初旬~1993年1月下旬。
「目的」のところには、「南極点まで完歩し、最高峰のビンソンマシフにも登頂する」とある。
メンバーは、「隊長 大西宏(28)、 隊員 佐野哲也(24)」と、2名だけになっている。佐野は明治大学山岳部の大西の後輩である。
スケジュールを見ると、1991年5~6月で、グリーンランドでの合宿も予定されていた。
そして、総予算は5,320万円。
一方、手書きで書かれたレポート用紙の方にも、筆まめな大西らしく、計画概要の補足と今後のスケジュールがびっしりと書き込まれていた。
手紙の末尾には、「興味があったら協力してくれ。今度早急に機会をつくって、さらに詳しい説明をするつもりだ」とあった。
最後にはさらに、「蛇足ながら定職もあることだし、よくよく将来の見通しについて考えてからやってくれ」と書かれていたが、私は手紙を読み終えると即座に、南極に行きたい意思をはっきりと記した手紙を、大西に宛てて書きはじめた。
by antarctic-walk
| 2009-01-16 12:06
| 東京