2010年 11月 27日
上原勝栄さん |
「練習生は毎日、銭湯のタイルの床を、こうしてスポンジでこするんだ。利き手じゃない方の手でね。それがジャブの練習さ」
吉川が私の目の前でやってくれた左手の動きは、確かにボクサーのジャブのようにも、風呂場のタイル掃除のようにも、どちらにも見える。
銭湯の営業が終わる午前0時からたっぷり1時間、吉川は毎日そうして風呂場の床をみがいていたという。もちろん、ボクシングの練習を終えてからである。
上原湯での練習風景。写真は吉川ではありません。
真面目に練習する練習生は、下宿代タダ、食事もタダ、風呂もタダ、おまけにボクシングの指導料もタダという、そんなボクシングジムを経営(?)していた上原勝栄という人は、もとは空手家だった。
沖縄は今でこそボクシングで有名だが、昔と言えば空手である。
弟2人がボクシングの道へ進んだことがきっかけとなり、上原はボクシングの指導をはじめた。それは沖縄で初のボクシングジムとなった。
もともとがボクサーではないから、その指導ももちろん自己流によるところが大きい。
「ボクシングはルールのあるケンカさ。ケンカ強ければボクシングも強くなるから、最初はケンカを教える」
と上原は言う。
「ジムの隣町が気性の荒い漁師町でヤクザ者の多いところだったんだけど、まだ具志堅がいた頃は、夕方になるとその町に出かけて行ってヤクザに喧嘩を売るっていうのがトレーニングだった。毎回こてんぱんに叩きのめすから、そのうちヤクザがいなくなったっていう話さ。
具志堅がチャンピオンになって間もない頃は、ダウンした相手にもパンチを入れてとどめを刺そうとしてたって言われてるんだけど、その頃の練習の名残だね。まあ、俺(吉川)がいた頃はさすがにやってなかったけどな」
上原勝栄は、新しいユニークな練習法を常に考えているような人だった。
那覇の夕方の繁華街を人の流れとは逆方向に全力で疾走する、などという練習もあった。
次々にすれ違う通行人を、すばやく右に左に体を振ってかわしていくのである。
脇が甘くならないように、1万円札を右のわきの下にはさんで練習させられたり、歩幅を広くとり過ぎないようにするため、両足をひもで結んだままのスパーリングなどもやったそうだ。
「そうそう、俺なんて社交ダンスまでやらされたもんな。勝栄さんが、ダンスのステップはボクシングに役立つって言うんだよ」
吉川は自分のボクシングの才能を、
「あるとは思わなかった。でもとりあえずプロにはなろうと思っていた」。
私が上原に直接会って吉川のことを尋ねたとき、真面目に練習し、腕力のある吉川を、上原もプロにするつもりだったと語ってくれた。
転機は唐突に訪れた。
「勝栄さんは面倒見がいいというか、とにかく人がよすぎるくらいよくてさ。それで人の借金の保証人になったのがもとで、ジムと銭湯がつぶれちゃったんだ。俺が大学2年の時にね。突然行くところがなくなって、とりあえずアルバイトをはじめたのさ」
※写真は下記のブログより拝借いたしました。記して感謝申し上げます。
http://ameblo.jp/stanbox7/entry-10366808827.html
吉川が私の目の前でやってくれた左手の動きは、確かにボクサーのジャブのようにも、風呂場のタイル掃除のようにも、どちらにも見える。
銭湯の営業が終わる午前0時からたっぷり1時間、吉川は毎日そうして風呂場の床をみがいていたという。もちろん、ボクシングの練習を終えてからである。
上原湯での練習風景。写真は吉川ではありません。
真面目に練習する練習生は、下宿代タダ、食事もタダ、風呂もタダ、おまけにボクシングの指導料もタダという、そんなボクシングジムを経営(?)していた上原勝栄という人は、もとは空手家だった。
沖縄は今でこそボクシングで有名だが、昔と言えば空手である。
弟2人がボクシングの道へ進んだことがきっかけとなり、上原はボクシングの指導をはじめた。それは沖縄で初のボクシングジムとなった。
もともとがボクサーではないから、その指導ももちろん自己流によるところが大きい。
「ボクシングはルールのあるケンカさ。ケンカ強ければボクシングも強くなるから、最初はケンカを教える」
と上原は言う。
「ジムの隣町が気性の荒い漁師町でヤクザ者の多いところだったんだけど、まだ具志堅がいた頃は、夕方になるとその町に出かけて行ってヤクザに喧嘩を売るっていうのがトレーニングだった。毎回こてんぱんに叩きのめすから、そのうちヤクザがいなくなったっていう話さ。
具志堅がチャンピオンになって間もない頃は、ダウンした相手にもパンチを入れてとどめを刺そうとしてたって言われてるんだけど、その頃の練習の名残だね。まあ、俺(吉川)がいた頃はさすがにやってなかったけどな」
上原勝栄は、新しいユニークな練習法を常に考えているような人だった。
那覇の夕方の繁華街を人の流れとは逆方向に全力で疾走する、などという練習もあった。
次々にすれ違う通行人を、すばやく右に左に体を振ってかわしていくのである。
脇が甘くならないように、1万円札を右のわきの下にはさんで練習させられたり、歩幅を広くとり過ぎないようにするため、両足をひもで結んだままのスパーリングなどもやったそうだ。
「そうそう、俺なんて社交ダンスまでやらされたもんな。勝栄さんが、ダンスのステップはボクシングに役立つって言うんだよ」
吉川は自分のボクシングの才能を、
「あるとは思わなかった。でもとりあえずプロにはなろうと思っていた」。
私が上原に直接会って吉川のことを尋ねたとき、真面目に練習し、腕力のある吉川を、上原もプロにするつもりだったと語ってくれた。
転機は唐突に訪れた。
「勝栄さんは面倒見がいいというか、とにかく人がよすぎるくらいよくてさ。それで人の借金の保証人になったのがもとで、ジムと銭湯がつぶれちゃったんだ。俺が大学2年の時にね。突然行くところがなくなって、とりあえずアルバイトをはじめたのさ」
※写真は下記のブログより拝借いたしました。記して感謝申し上げます。
http://ameblo.jp/stanbox7/entry-10366808827.html
by antarctic-walk
| 2010-11-27 10:39
| 吉川謙二