2010年 04月 24日
アイスウォーク |
1989年3月に北極圏のカナダ・エルズミア島を出発し、ソリをひきながら徒歩で北極点を目指す。
隊長を努めるのは南極徒歩踏破の経験も持つイギリス人探検家ロバート・スワン。
日本人を含む7ヶ国8人のメンバーが予定されていた。
57日間におよぶ地球の北の果てを目指す旅は、大西にとって地獄のように苦しい日々だった。
「大学山岳部の新人以来」経験したことのなかったほど、バテにバテたのである。
大西は隊の中で一人完全にお荷物になっていた。毎日毎日体力の限界まで出しつくし、それでも他のメンバーと同じペースで歩くことができなかった。
「君がエベレストに登れるなら、ぼくでも登れそうな気がするよ」
冗談とは言え、そんな屈辱的な言葉を投げつけられながら、大西自身、
「もうだめだ。次の補給の飛行機でレゾリュートに帰ろう」
それを毎日のように考えていた。
日本最強の登山家と言われた山田昇とも互角のスピードで歩くことのできた大西は、登山家としては世界でもトップクラスの体力があったと言ってよい。もし登山をすれば、アイスウォーク隊のメンバーの誰も大西のペースについていくことはできなかったはずだ。
大西は走っても5㎞15分台という素晴らしい心肺機能を有していた。
いったい、アイスウォーク隊の誰が、5㎞を15分台で走ることができただろう!?
しかし、大西が隊の中の最弱メンバーであったことは事実だった。
身長が165㎝足らず、体重が60㎏あるかないかの大西は、大柄な白人や黒人たちの中にあって、一人だけ子供のような体格といってよかった。それは同じ重量のソリをひくうえで、明らかに不利だった。
しかも起伏の激しい北極の乱氷帯で、クロスカントリースキーをはいて荷物をひくという技術を要する行為の経験が大西には乏しかった。彼の特別とも言える疲労は、そんなところに起因していたと思われる。
加えて言葉の問題もあった。
体力的に常に隊のお荷物になりながら、テントに入れば満足にコミュニケーションもはかれない……。体力的なつらさに、精神的なバテがかぶさっていたと言える。
「宏はもう帰した方がいいんじゃないか?」
そういう隊員たちを、隊長のスワンが制止し、メンバー全員で極点に到達することを主張した。
「ロバート、帰らせてくれ」
何度ものどまで出かかった言葉をぎりぎりのところで飲み込みながら、大西は結局最後までギブアップしなかった。
1989年5月14日、彼らはついに北極点に到達した。
それは奇しくも、大西宏の27回目の誕生日であった。
by antarctic-walk
| 2010-04-24 09:36
| 大西宏